社会教育施設2

社会教育施設2
社会教育
  • ボランティア
  • 教養講座
  • 社会教育施設
  • 社会教育施設2
  • 博物館等
  • ホーム >> 社会教育施設2


    社会教育施設2

    公民館
    公民館(こうみんかん)とは、住民のために、実際生活に即する教育・学術・文化に関する各種の事業を行う教育施設のことである。
    公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術および文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする(社会教育法第20条)。
     
    歴史
    明治維新以後、資本主義の発達に伴って都市部でも農村部でも様々な歪が生じるようになった。
    このため、地方改良運動及び社会教育の実施を目的として様々な名称を持った公共施設が建設された。
    旧来の村屋・行屋・若者宿に加えて、隣保館(りんぽかん)や労働福祉会館などの名称で呼ばれた施設がこれにあたる。
    昭和期に入ると、「公民館」と呼ばれる施設も登場し、大正後期から引き続き行われてきた社会教育の導入、関東大震災後の国民精神作興運動、昭和恐慌下の教化総動員運動や農山漁村経済更正運動など教化活動への住民導入体制の強化に伴って、その円滑な実施のための施設の必要が唱えられ、学校施設を舞台とした全村学校運動や図書館施説を舞台とした図書館附帯施設論争などが行われた。
    1923年(大正12年)、正力松太郎が警視庁を辞め、読売新聞の経営に乗り出した際、後藤新平が資金面で援助をした。
    その後、正力松太郎はその恩返しとして、後藤新平の故郷である岩手県水沢町(現:奥州市)に資金を寄贈した。
    岩手県水沢町が正力松太郎から寄贈された資金を使い、1941年(昭和16年)に建設したのが、「後藤新平記念公民館」である。
    建設から5年後の1946年(昭和21年)には、「公民館」に改称した。
    日本で公民館に類似する事業を行う施設は、第二次世界大戦前にもあったということができる。
    なお、その後、岩手県水沢市には新しい公民館が建設され、「後藤伯記念公民館」に改称した。
    裏手には後藤新平記念館がある。
    現在ある公民館は戦前に文部省の成人教育課長であった松尾友雄が唱えた「社会教育館」構想を母胎として文部省の公民教育課長であった寺中作雄によって構想されたものが原型となっている。
    1946年より日本の民主化政策に伴って各地に公民館設置が行われ、1949年の社会教育法制定によって法的に位置づけられた。
    公民館制度は戦前からの地域施設設置運動と住民の参加システムを生かす形で住民の企画・運営への直接参加が行われるなど、地域における住民の学習権保障の場として評価されている。


    公民館の設置

    公民館の設置
    公民館は、市町村が設置する(社会教育法第21条第1項)。
    市町村が設置する場合を除くほか、公民館の設置を目的とする一般社団法人・一般財団法人でなければ設置することができない(社会教育法第21条第2項)。
     
    公民館の事業
    公民館は、目的達成のために、おおむね、次に掲げる事業を行う(社会教育法第22条本文)。
    定期講座を開設すること。
    討論会、講習会、講演会、実習会、展示会等を開催すること。
    図書、記録、模型、資料等を備え、その利用を図ること。
    体育、レクリエーション等に関する集会を開催すること。
    各種の団体、機関等の連絡を図ること。
    その施設を住民の集会その他の公共的利用に供すること。


    公民館の運営方針
    公民館の運営方針
    公民館は、公共の施設であることから、次の行為を行ってはならない(社会教育法第23条第1項参照)。
    もっばら営利を目的として事業を行い、特定の営利事業に公民館の名称を利用させその他営利事業を援助すること。
    特定の政党の利害に関する事業を行い、または公私の選挙に関し、特定の候補者を支持すること。
    また、市町村の設置する公民館は、特定の宗教を支持し、または特定の教派、宗派若しくは教団を支援してはならない(社会教育法第23条第2項)。
     
    公民館以外の呼称
    より多くの人々が施設で交流を深めてもらうよう、公民館を「生涯学習センター」「交流館」などと言い換える設置者(市町村など)もある。
     
    公民館以外の呼称を用いている例
    社会教育会館(東京都内各市区町村)
    ○○市生涯学習センター○○交流館 (愛知県豊田市)
    ○○住区センター(東京都目黒区)
    ○○地区センター(神奈川県横浜市)
    ○○市民館(神奈川県川崎市)
    ○○市民センター(福岡県北九州市、宮城県仙台市)
       

    博物館
    博物館
    博物館(はくぶつかん)とは、特定の分野に対して価値のある事物、学術資料、美術品等を収集、保存し、それらについて専属の職員(学芸員、キュレーターなど)が研究すると同時に、来訪者に展示の形で開示している施設である。
    英語を転用してミュージアム (museum) と呼ぶこともある。
    多くは自然史・歴史・民族・美術・科学・技術・交通・海事・航空・軍事・平和など、ある分野を中心に構成され、収集された資料に基づく研究成果を公刊すると同時に、来訪者がその分野について幅広く知識を吸収できるように工夫されている。
    英語のミュージアムは古代エジプト、プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアにあった総合学術機関であるムーセイオンに由来する。
    ムーセイオンは、ギリシア語で「ムーサ(ミューズ:芸術や学問をつかさどる9人の女神たち)の殿堂」を意味する。
    この名のとおり欧州語の museum は、日本語でいう美術館(アート・ミュージアム)も内包する概念であり、同様に日本語で博物館という名称を付さない資料館、文学館、歴史館、科学館などの施設も、世界標準では博物館の概念に含まれる、専門博物館の類型である。
    水族館、動物園、植物園といった生きている生物を収集する施設の場合は、植物園の標本館であるハーバリウム施設を除くと博物館とは分けて考えられる傾向にあるが、同一の発想に基づく類似施設である。
    なお、これらは博物館法上は「生態園」と呼称されている。

    不倫
    世界の博物館
    ヨーロッパの博物館・美術館にはバロック期のヴンダーカンマー(驚異の部屋)に発祥するものが多い。
    ヴンダーカンマーとは、世界中の珍しい事物(異国の工芸品や一角鯨の角、珍しい貝殻、等々)を、種類や分野を問わず一部屋に集めたものである。
    ルネサンス期からバロック期にかけて王侯や富裕な市民は珍しいものの収集に熱を入れた。
    この「珍しい」収集の中には貴重な絵画彫刻も含まれた。
    教会以外の場で大規模な美術品の公開展示が行われたのはルネサンス期のフィレンツェである。
    メディチ家のコレクションが邸内の回廊(ガレリア)で行われた。
    祝祭日に王侯がコレクションを閲覧することはその後も各地で行われたが、通年公開されることはなかった。
    フランスでは王立絵画彫刻アカデミーがルーヴル宮殿の一室「サロン・カレ」で会員の作品を行い、ディドロが書いたその批評はフランス内外で広く読まれた。
    それまで博物館の閲覧は学者を含め富裕層に限定されてきたが、フランス革命を契機として、はじめて一般に公開された常設の博物館として「国立自然史博物館」がパリに設置された。
    1925年、ミュンヘンにオープンしたドイツ博物館は、これまでの閲覧中心の展示から、体験型展示を全面的に導入し、現代の科学博物館の展示様式のさきがけとなった。
    一部の博物館、特にイタリアには、コレクションの性質や規模に応じて紹介、事前予約を要するものがある。
    アメリカ合衆国では博物館の教育性、公共性が強調され、公開のものが多く、スミソニアン博物館のように定額の入場料を定めないところもある。
    不倫はご法度とされています。


    Yahoo!検索